2011年10月31日月曜日

牟田洞古窯跡にて

 
 この写真は今年の秋に会員の皆さんと美濃のやきものの歴史を訪ねる旅をした折のものです。背景にある建物は、人間国宝の故・荒川豊蔵氏の工房です。このあたりは荒川豊蔵氏が志野の桃山時代の陶片を採取して、古志野の産地を特定した有名な場所なのです。この写真の上方に荒川豊蔵記念館があり、そこには豊蔵さんが発見した「筍」の絵の入った陶片が、多くの発掘品とともに陳列されていて、皆さんの眼を釘付けにしました。

 聞いた話では、昭和5年(1930年)4月に名古屋で北大路魯山人の星ヶ岡窯展のときに、荒川さんは関戸家にある筍の絵の入った茶碗を見る機会を得て、大変感動したらしいのです。まだ当時、その志野作品がどこで焼かれたのかわからなかったそうで、豊蔵さんはその土が美濃のものではないかと見当をつけて、大萱を山中を歩いていたら、なんと2日前に見た筍の茶碗と同じ絵の入った陶片を見つけたのでした。それから大々的な発掘につながり、美濃の焼き物の全貌が明らかになった経緯があるのです。荒川さんはその発見とその後の志野の復元の功績が認められて人間国宝に指定されました。荒川さんの強運に感心しながら、資料館の展示品をみなさんと拝見しました。

 またこのあたりにはやはり同じ桃山時代の鼠志野などを焼いたとされる窯下窯や、織部の後期の弥七田窯などがあり、そこもすべて皆さんと見学しました。皆さん、筍の絵の入った陶片や織部の陶片が落ちてないかと下ばかり見ている不思議な集団でした。

 この旅の様子は、日本骨董学院のホームページで御覧いただけます。

日本骨董学院 http://www.kottou-gakuin.com/