2012年10月9日火曜日

Ben Kim  ピアノ・リサイタル

本人サイン入りBen Kim ピアノリサイタルのプログラム
  このところ、二晩続けて武蔵野市民文化会館に行きました。一昨日の夜は、大ホールでバーデン歌劇場によるプッチーニのオペラ「トスカ」、そして昨晩は小ホールでベン・キムのピアノ・リサイタルを楽しみました。ここの小ホールは、音響が大変良いので、世界中のアーティストから愛されているそうです。ピアノはスタインウエイで極めてよく調律されて、音もとてもいいピアノです。チケットはいつも良心的な値段で、非常に濃い内容の演目を提供し続けているので、人気が高く切符はすぐに売り切れます。こんなことを書くと、ますますチケット入手が困難になりそうで、怖いですが、とにかくレベルの高さに感心します。

 ベン・キムは1983年、アメリカ生まれ。これまでにコシュチューシコ財団ショパン・ピアノ・コンクール優勝、ミュンヘン国際音楽コンクール優勝他数々の賞を獲得しています。タコは彼が舞台に登場する姿勢と歩き方で最初に好感がもてて気に入りました。適度の速さで颯爽と姿勢よく現れたのです。細身で一見神経質そうな青年ですが、繊細さと力強さを併せ持つ、素晴らしい演奏でした。昨晩は、バッハ、モーツァルト、ベートーベン、ショパン、そしてドビュッシーの曲を聞かせてくれました。特にショパンやドビュッシーが彼には合ってると思いましたが、ベートーベンの「熱情」もなかなか良かったです。
 5歳でピアノを始めたので、てっきり裕福な家に生まれて英才教育を受けたのだろうと想像していましたが、そうでもないようです。両親が忙しく、一人で待っている時に退屈しないように小さなキーボードをリュックに入れてくれたのを気に入っていつも弾いていたらしいのです。その音楽を聞いた先生が彼の才能に気づき、ピアノのレッスンを勧めてくれたそうです。その後も音楽の専門学校ではなく、公立の学校で普通の学生生活を送り、高校卒業間際までピアニストになることを決めていなかったとのことです。ピアノに限定されずにのびのびと育ったところに彼の豊かな表現力の秘密があるのかもしれません。ドイツを拠点に世界中で演奏する今、彼の息抜きはなんとロッククライミングというのも面白いです。芸術劇場では、ガーシュウィンなどをオーケストラとともに演奏したそうですので、それも聞いてみたかったです。
 このフレッシュなピアニストの成長が楽しみです。記念に買ったCDとプログラムに丁寧にサインをしてくれ、握手を交わしました。いい記念になりました。ステージ上の神経質な印象とは異なる、笑顔の爽やかな青年でした。これから頑張ってほしいです。

 CDやレコードで、亡くなった巨匠たちの名演奏を聞くのも好きですが、若くてみずみずしい演奏家の奏でる響きに、音響の良いホールで浸るのも仕事の後の至福の一時です。
 

 

2012年10月7日日曜日

骨董市で再会したブリキの飛行機 B29

ブリキの飛行機

 日曜日、今日は予定変更で、久々に休日となりました。のんびりと骨董市を廻ってみようかと思ったのに、朝起きたらあいにくの雨!それもかなり強い雨でした。僕はどちらかというと「晴れ男」なのに。今日は仕事でないからか雨なのかな(・・;)。でも、富岡八幡骨董市と靖国神社は雨でもしっかり開催する市として有名ですから車で行ってみました。前回の富岡八幡では「李朝・ととや茶碗」の無傷ものを奇跡的に安く買うことができたので、きちんと写真を撮ったら投稿したいです。今回は、靖国神社について。

 東京九段の靖国神社骨董市を取り仕切る会主の菅野さん、通称「カンちゃん」の雨除けテントを張ったお店に寄ってみました。もともとこの業界の重鎮である菅野さんとは、僕がたまに顔を出す栃木の業者市でよく顔をあわせます。挨拶をして陳列品を見ていたら、ちょっとドキリとするほど気になったものがありました。「あれ?!なつかしいな~」と思って手に取りました。

 僕は小さいころから動くものに魅かれ、乗り物、特に車や電車、なかでも少し大きくなってからは飛行機がものすごく好きでした。4歳頃には、よく一人で電車を見に1キロほど離れた中央本線と総武線の踏切に歩いて行き、電車を見ていたそうです。そうやっていつの間にか居なくなり、家族を慌てさせていたみたいです。また、今の中野サンモール、昔の北口商店街を入ったすぐ左におもちゃ屋さんがあったのですが、そこを通ると決まって座り込んで動かなくなり、母を困らせたとか。家計が苦しかった当時、母はそうやって幼いタコがごねる度になんとかなだめて店先から離して連れ帰っていたと聞きました。でも、その飛行機・B29の時は梃子でも動かなかった。母は、仕方なく持ち合わせのお金を吐き出して買ってくれたようです。
 その飛行機と同じものを、しかも完全な保存状態のものをこの骨董市で見つけたのです!小さかった頃の僕には、そのブリキの飛行機はものすごく大きく感じたのですが、今見ると、意外と小さいです。心の片隅で、セピア色になっていた思い出が、フルカラーで目の前に浮かび上がりました。

 母を困らせてまで買ってもらった飛行機なのに、僕はあまり遊ばずに壊してしまいました。どういう仕掛けで車輪を動かすとプロペラが回るのか、それを知りたくて分解してしまったのです。家にあったマイナスドライバーを持ち出し、ブリキの小さな留め金をせっせと外して中を調べる。構造がわかって納得すると、満足。解体したままポンと放っておくのです。それを見て片づける母はどんなに悲しい思いをしたか、今は知る由もありません。

 骨董市で再会したB29、これは日本製ですし、思い出のものと全く同じです。こうしてまた持ってみると子供とはいえ、なぜ組み立て直して、もっともっと遊ばなかったのか・・自責の念がずしりときます。カンちゃんに安くしてもらい、購入しました。一時ブリキのおもちゃは一部の心無い業者によって値段が吊り上げられていましたが、今は元の値段に戻ったみたいです。買えてよかった~。そんなわがままな子供時代の思い出のブリキのおもちゃを思いがけず再度入手でき、何か熱いものが胸に去来しました。母が亡くなってもう5年、命日も真近です。感謝の気持ちを添えて、しばし霊前に置きました。
 
 
 
   

2012年10月4日木曜日

ハロウィーン


 あっという間に10月になりましたが、なかなか涼しくなりませんね。秋らしい気分にはほど遠いですが、街ではそろそろハロウィン関係の品が売られているのを目にするようになりました。僕には縁のないお祭りです。でも、その由来や歴史は興味深いです。キリスト教の行事ではなく、収穫を祝い、目に見えない偉大な力への感謝と畏怖から生まれた素朴な儀式が、時の勢力の推奨する宗教の普及の為に徐々にその意味や習俗が変えられていったようです。太陽の季節が過ぎ去る10月31日はケルト人にとって一年の終わり。11月1日からは、暗闇の季節とともに新年が始まりました。長く寒い夜には、精霊や悪霊の存在もきっと本当に思えたことでしょう。今では、そうした本来の意味は忘れられ、宗教的な関連付けもなくなり、アメリカの大衆文化の一つとして、日本でも受け入れられるようになりました。

 日本人は季節感を非常に大切にし、その意識が着物の柄から食べ物に至るまで、生活のあらゆるところに反映されています。僕もやはり旬の食べ物をいただくのは楽しみだし、玄関の置物も季節を意識して選びます。
 一方、アメリカは広いですから、一年中温かい地域もあります。それでも、ハロウィンになれば、かぼちゃの置物や紅葉の色合いのデコレーションを施し、イースターになれば、春を感じさせるパステルカラーのデコレーションで飾り立てるところが面白いです。ちゃんと彼らなりに季節の変化を演出し、楽しんでいる。遠い昔のヨーロッパの記憶がずっと息づいていて、万人が楽しめるお手軽で商業的なアメリカンスタイルに進化しているから、日本人の目にも楽しく映るのでしょう。

 上の写真は、タコの娘が作ってくれたクッキーです。彼女は、料理やお菓子作りが好きなので、ちょっと血圧が高めでコレステロールも心配な父親の為に、ヘルシーなレシピを考案したりしてよく手作りの菓子やらピロシキなどを差し入れてくれます。蝙蝠のクッキー型は、河童橋で見つけたそうです。僕も河童橋は好きで時々行っては、使いもしない調理器具をつい買ってしまいます。娘は、この型で早速ココア風味のクッキーを焼いて持ってきてくれました。砂糖控え目、ちょっとビターな蝙蝠です。赤い目と小さな蝶ネクタイが特に可愛いかったので、食べてしまう前に記念に写真を撮りました。