2012年5月9日水曜日

5月の石神井公園散策 バッハ(J・S・BACH)平均律  カ-ル・リヒター(Karl Richter) グレン・グールドGlen Gould カフカ Franz Kafka



    

 今年の5月のゴールデンウィークは、9連休取れた方も多かったようですが、タコはほとんど普段と変わらぬペースで働いていましたが、数日お休みがとれました。連続してお休みが取れなかったので、遠出はせず、時間の空いた時にはのんびりと骨休めするようにしました。


 連日の雨の中、貴重な晴れ間には久しぶりに石神井公園へ散歩にくり出しました。ここは太田道灌によって15世紀後半に滅ぼされた豊島一族の戦国時代の古城址で、タコの大好きな場所のひとつです。土日こそ人出が多くなりましたが、平日はとても静かです。写真にあるように連休の合間でも人も少なく、ゆっくり散策できました。茶店もご覧のとおり人影もなく、おなかもすいてきたのでカレーライスを注文してゆっくりいただきました。昔のままのカレーライス!あーあ、ノンビリできて、いいなァー!!
  前回この公園についてブログに投稿した時の写真は1月の寒空の下で撮ったものでしたが、今回は辺り一面の新緑。 連日の雨に洗われて、ツヤツヤとした若草色に迎えられ、子供のころから何度ここに来たかわからないほどですが、いつもなにか新たな、じわっとくる感動がある場所なのです。
 タコは古美術品を扱いますが、美術でも映画でも音楽でも、いつ観ても聴いても新たな感動、新しい発見があるということが、その作品の本来の力であり、魅力なのだと思います。1万年前の縄文土器に洋画家の岡本太郎が感動して、自分の芸術の原点としたように、まさにその作品の持つエネルギーがわれわれを感動させ、驚かせるのです。美術はこんなにはるか彼方の時空を超えて人の魂に訴えることができるのですから、すごいことですね。  
  ポケットからiPodを出して大好きなカ-ル・リヒター(Karl Richter)のチェンバロHarpsichord/Cembalo/Clavecin/ClavicembaloでバッハJohann Sebastian Bachの「平均律」The well-tempered Clavierを選び、聴くことにしました。もう30年も昔にスイス、インターラーケン(Interlaken)から登山鉄道に乗り、アルプスの山々を見ながらカセットテープで聴いた曲です。自然にとても合う曲です。グレン・グールドGlen Gouldの「平均律」もなかなかいいです。石神井公園の水辺や泉のほとりを歩いていると惑星ソラリス("Solaris" 1972 )の冒頭の水草がゆらゆらとたゆとう美しい場面を思い出します。バックミュージックはやはりバッハのオルガン曲で、コラールプレリュードBWV639番(J. S. Bach, Choral-Prelude "Ich Ruf Zu Dir, Herr Jesu Christ" BWV639)でした。これを聴くと、いつもあの映画の冒頭部分の映像とアンドレイ・タルコフスキー監督の水の思想を思い浮かべてしまいます。「ソラリス」はすべての面ですばらしい映画です。 タコがこれまでに最も感銘を受けた映画作品は、黒沢明監督(Akira Kurosawa)の「蜘蛛巣城」"Throne of Blood"1957と「デルス・ウザーラ」"Dersu Uzala"1975、そしてタルコフスキー監督(Andrei Arsenyevich Tarkovsky)の「惑星ソラリス」"Solaris"1972の3作品です。それにあえて付け加えるとすれば、オーソン・ウエルズ監督(George Orson Welles)のカフカFranz Kafka「審判」"The Trial"1962でしょうか。
 そんな懐かしいことを考えながら石神井公園の散策を終えました。「蜘蛛巣城」はタコが10歳の時、「審判」は高校生の時、カフカの文学に熱中していた時に観ました。「惑星ソラリス」は大学時代に岩波映画で観て、とても感動しました。そして「デルス・ウザーラ」は社会人になってフィルム・センターの黒澤映画連続映写会で鑑賞しました。これも黒沢監督の代表作といってもいい映画です。多くの点で啓発された思い出の映画ばかりです。
 石神井城址も戦国時代の「兵どもが夢の跡」、まさに「蜘蛛巣城」の映画の時代背景と同じイメージの城跡の一環です。
 

2012年5月4日金曜日

5月の節句 兜 加藤清正


  先日、ある骨董市を歩いていたら、苗代川焼きの四角い植木鉢がありました。めずらしいなと思って購入してきました。苗代川焼は、鹿児島県・日置市(旧東来町)のやきもので、その歴史は、慶長4年まで遡れます。2002年に同じく鹿児島県の堅野系、龍門司系と共に苗代川系も国の伝統工芸品に指定され、「薩摩焼」と総称されるようになりました。これは、いわゆる「黒もん」、大衆向け雑器ですが、黒鉄釉が花を引き立ててくれます。八重咲きのカシワバアジサイ(柏葉紫陽花Hydrangea Quercifolia/Oakleaf Hydrangea)を植えてみると、なかなかいい具合です。柏といえば五月五日のこどもの日の「柏餅」を思い浮かべます。日本骨董学院では毎年、季節の骨董・古美術を教室に出して飾るようにしており、今年のおひな様のときは江戸時代の享保雛を飾りました。

 例年、五月五日には「兜」を飾っています。本多家伝来の頭形兜(桃山時代・本多家の家紋入る。写真下・面頬は江戸時代のもの)や忍城の重役の家に伝来した厚めの鉄兜をタコは気に入ってます。戦国時代の兜だけに厚くて一見、無骨な才賀兜によく似ています。面頬も古いものが付属しており、飾るとなかなか凄味がある甲冑です。金箔の貼られた兎の耳の脇立てが付属しています。これを付けますとやや華やいだ感じになりますが、これは江戸前期の流行によるものと考えられますが、タコは別に「百足(むかで)」の前立てを持っていて、これを付けるとなかなか迫力があるので、来年のこの兜には「百足」の前立てを付けて出してみようかと思っています。「百足」はどんなときも退くことをしないといわれ、それが勇猛な武将の心意気をあらわすことにつながり、図柄として戦国武将に愛好されたものと思われます。刀の外装に鐔や小柄、笄、目貫、縁頭がありますが、これらにも「百足」の図があります。
 
 また五月の節句といいますと、鍾馗様が一般的ですが、絵でおもしろいのは加藤清正の武者絵です。これも五月の節句にはふさわしい絵柄だと思います。加藤清正は秀吉の文禄・慶長の役で朝鮮に出兵して虎退治をしたということで有名ですが、彼は熱烈な法華経信者で、従って日蓮宗に帰依していました。ですから彼独特の鎗を持ち、日蓮宗の題目「南無妙法蓮華経」の旗印を背にしている場合は加藤清正像なのです。(写真下のバックの絵)清正の兜は「烏帽子兜」が特徴です。










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2012年5月2日水曜日

パイプの魅力(Ⅲ) キャラバッシュパイプCalabash Pipeと古いブライヤーパイプBriar Pipe


  一連のパイプの連載に、日本だけでなく世界のみなさんから驚くほど多くのアクセス をいただき、パイプの根強い人気を嬉しく思います。読んでくださってありがとうございます。これからも「タコの散歩道」に遊びにいらしてください。

 タコのパイプとの付き合いは、前にも書きましたがかれこれ45年になりましょうか。その頃は学生から社会人になる頃で、高級なものを買えるお金も無かったですから、憧れのパイプなどを銀座の喫煙具専門店「菊水」や「佐々木」、原宿・パレフランスのジェームズ1世、新宿の加賀屋などで見て、ため息をついていました。そこでもっぱらタバコの風味、味わいに工夫をこらし、いろいろなパイプ専用タバコをブレンドして楽しんでいました。ロング・バーニングという、火を消さず長時間燃焼させる技術も身につけたりしました。タコの当時の最長喫煙時間は5グラムのタバコで1時間23分というのを覚えています。
 当時のタコの勤め先は教育関係の出版の他、塾なども経営していました。第二次ベビーブームなどで会社の経営は毎年上向いていました。設立当時に入社し、創設の7名に入っていたので、頑張っただけ給与も増えたし、地位も上がり、ボーナスもびっくりするくらいもらえました。そのかわり社員数が少ないので、徹夜などは当たり前。忙しいときは3日徹夜のときもありました。いつも夜11時から12時に帰宅し、朝6時から7時には出勤していました。あの頃の流行語でもあった「モーレツ社員」そのものの生活でした。若く活力に満ち、仕事への興味と楽しさ、情熱があったからこそ可能だったのだと思います。労働基準法などとはまったく無縁の勤務状況でした。今は1日の徹夜でも体調が狂い、だめです。
  そんなことで、たまの休みには古美術の研究や、他の好きなことに時間を使いました。金銭の恵みを受けたことから、さらに多方面の研究、購入に拍車がかかりました。この時期、以前の「パイプの楽しみⅠ・Ⅱ」で書いたホルベックHOLBEKやミッケJOHN MICKE、ダンヒルDUNHILL、チャラタンCHARATAN、S・イヴァルソンSIXTEN IVARSSONなどのすばらしいパイプの数々を手に入れることができる経済力を持つことができたのです。


 ここに掲載したパイプはキャラバッシュパイプCALABASH PIPEといって、アフリカあたりの瓢簞を栽培途中から加工してこういう形に徐々に仕上げていくといいます。従って大きなものの中は空洞なので、いわゆるクールスモーキングが楽しめるということ、コナン・ドイルSir Arthur Conan Doyleの探偵小説「シャーロック・ホームズSherlock Holmes」シリーズでこのパイプをシャーロック・ホームズが愛用していることでも有名です。

タコのこの小型アンティークのキャラバッシュ・パイプは、ボウルを覆う銀部分のシルバー・ホールマークSilver Hallmarkから制作年代が1910年であることが判明しています。メシャムのボウルを付けている昨今のキャラバッシュ・パイプと異なり、ボウルも瓢箪本体でできており、上面に湾曲した覆いが被せてあります。



最初のころは、このように小型で、ボウルもキャラバッシュ本体で作られ、その上に銀の覆いが付けられていたのでしょう。ほぼ100年以上経過しています。多くの人達に愛用されたようで、、ボウルにタールが染みこみ、飴色のいい味わいに変化しています。マウスピースは水牛の角製bison horn mouthpieceで、竹の節状に削られ、当時の東洋趣味を思わせます。なかなか凝った洒落た作品と言えます。

もう一本は、ブライヤーBriar(地中海地方に生えている、ホワイト・ヒース科の木で、その根の部分を使うroot burl of heath/Erica Arborea)。 ビリヤード形式のまっすぐなステムは、やはり使われているうちに破損したのでしょう、飾りも兼ねた銀製品で修理されています。そのホールマークによれば、銀の制作は1896年。 



マウスピースはオレンジ色をした練り物のようです。ボウルの口縁にもシルバー・ホールマークのある銀の覆いがあり、調べると1890年の刻印でした。
 すなはち、このパイプは1890年及び1896年と年代の異なる2種類の銀製装飾を持ってることになります。最初からブライヤーのボウルに銀の覆いをすることはないので、使っていてボウルを焦がしたか、落とすかして傷つけ、覆いを必要としたと思われます。制作年代は1880年代と推測します。ブライヤー・パイプでもかなり古い部類に入るでしょう。飾り気のない、地味なブライヤーです。素朴ながらも、大切にされてきたことを2か所の銀の修復が物語っています。 1868年が日本の明治元年ですから、西郷隆盛の西南戦争から華やかなりし鹿鳴館時代、そして日清戦争に向かうあたりです。日本が近代化、軍国化してゆく時代・・・ そんなことを考えていると、このパイプは随分と当時の日本の同盟国であるイギリスで大切にされて生きてきたんだなぁと愛おしくなります。


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2012年5月1日火曜日

「さらしな蕎麦」

中野は今、賑やかな街に変貌しつつあります。ブロードウェイができた昭和40年頃から中野は少しづつ変化してきて、特に「まんだらけ」が若者たちを引きつけるきっかけになったと思います。マンガ本、アニメ、マンガやアニメの原画、おもちゃ、フィギュアーやCD、そしてロレックスなどの高級時計などのアイテムとそれにともなう若者グッズが軒を連ねています。上野やアメ横などより衣料品や飲食が安くて美味いということから、外人たちの人気スポットになりつつあるところに、今度は警察病院が飯田橋から移転、それにともなう薬剤師さんのお店がたくさんできたり、人通りが非常に多くなりました。そうしたら今度は大学誘致で、2013年には早稲田大学、明治大学、帝京大学の3校の学部移転がなされることになり、一大学園都市の出現へと、めまぐるしく変貌しています。もともと将軍綱吉によるお犬様で何万匹かの犬を飼っていたのが中野のはじまりで、昔は「囲(かこい)町」という町名でした。その後その場所に日本陸軍の特務機関、すなわちスパイ養成学校で有名は「陸軍中野学校」となり、戦後に警察学校に発展しました。タコは子供の頃、仲間とこの学校の運動場に忍び込んでゴム動力の模型飛行機を飛ばして遊んでいて、巡回の守衛さんに追いかけられたものでした。その土地に一大学園プロジェクト出現となったのです。


さらしな本店で50年以上の歴史を誇る「信太うどん」 830円

 さておいしいもののお店ガイドがそれてしまいました。タコは生まれも育ちも、今の住まいも職場も中野なので、その移り変わりをずっと見てきました。そんな中で、タコがはじめて美味に出会ったお店が今も健在なのは嬉しい事です。今回は、そのお店をご紹介します。JR中野駅の南口、ロータリーの向側にUFJ東京三菱銀行があります。その左側の道を50メートル入ると右手に「さらしな」蕎麦店があります。このあたりではお菓子の「不二家」と並んで一番古い店のひとつです。目立たない店ですが、名店です。小学校4年頃、当時住んでいたアパートから歩いて一分のこの店に、母に連れて来られました。蕎麦は子供に向かないと思ったのか、母は関西系の温かい薄味うどん「信太(しのだ)うどん」をたのんでくれました。「オイシイーー!」。

本店のかわいい店構え
母の作る家庭料理とはまた違った味に子供のタコは感激。以来、何度かこの店に連れてきてもらった思い出があります。その時から50年以上経ちましたが、この店は健在です。今は本店となり、やはり中野駅の北口、サンモール商店街のブロードウエイ手前のエクセルシオールの角を右に曲がった少し先に支店「さらしな」が、本店より大きなお店としてあります。日本骨董学院からはこちらの支店が近いのですが、今日ご紹介する「信太うどん」は本店にしかないのです。昔からの店の歴史そのもののこの「信太うどん」をきちんと用意してくれているこの本店に感謝です。
  もちろん、ここは蕎麦も全て美味しいので、遠くから「通」が食べに来ます。蕎麦通を自称する骨董関係の知り合いから、「君の近くにおいしい蕎麦屋があるの、知ってる?」と訊かれたこともあります。つい正直に「ああ、あそこは支店で、本店もいいよ」などと言ってしまい、がっかりさせてしまいました。(笑)

 本店でも支店でも、手打ちの二八蕎麦やつなぎの入らない荒めの田舎蕎麦、さらしな蕎麦、蕎麦がき、地獄そば、鴨南そばなどは実に美味しい。特にこれからの暑いときには冷たい「おろし蕎麦」がいい。値段も手頃です。蕎麦は昔からもともと農民の非常食という歴史がありますから、タコは値段が異常なくらい高い蕎麦屋を異常に毛嫌いしており、絶対に高い蕎麦屋には近づきません。たっぷり、たくさんお汁をつけて食べたい。(「通」は香りを重視するために、粹に汁をちょっとつけるという。香りを重視するなら汁はつけなければいいというのがタコの持論)。落語では「そば通」が死ぬときに「あー、一度汁をたっぷりつけて食べたかった」といって死んだとか。そんなもんです。食べ方は自由、「通」ぶってズルズルと大きな音を立てて蕎麦を食べることも好きではありません。のど越しの美味しさがその音に出るといいますが、私はあの音は好きにはなれません。しかしあまり静かにも食べたくない(笑)。最近は塩をまぶしていただく蕎麦も美味しいなぁと思います。安くておいしい蕎麦をマイペースで好きなようにたくさん食べたいだけのタコです。



他に、地獄そば(950円)、しっぽくうどん( 980円)等々・・・豪華なメニューで2000円未満です。

本店電話03-3380-4828 支店03-3389-4218

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