2012年9月19日水曜日

季節の味 松茸 

 昨日の夜、近くのスーパーを歩いていると、棚にワンパックだけ松茸が残っていました。今問題の中国産ですが、見たら食べたくなって買ってきました。小さいのが3本で930円。やはりちょっと高かったかなぁ。

 秋になると、小学生のころ八百屋さんに松茸が安くたくさん並んでいた懐かしい光景が思い浮かびます。もちろん国産の松茸です。母がその松茸が好きで、よく焼いて食べさせてくれました。子供の僕が好きだったのは醤油をつけて焼く松茸で、いまだに思い出があります。小学校の六年の運動会で、みんなでお昼のお弁当を食べようとしていたときです。僕は中学では「ノリ玉」というふりかけが大好きで、お弁当はいつも「ノリ玉」弁当なのでタコというあだ名以外に「ノリ玉」というあだ名がついたくらいでした。
 「ウワー、この弁当に乗っている茶色のものはなんだ???」とみんながのぞきにきました。「松茸だよ」とタコ。こんなもん、好きなのか?といわれたことを、ふと思い出しました。当時の子供は安くても松茸はあまり食べなかったのでしょうか?今ではこの3本入りの小さな松茸がワンパック930円もしますが、昔はまずしい家庭のタコにもたくさん食べられたくらいですから本当に安くてたくさん採れたのです。
 この醤油をつけた焼松茸、本当に香ばしくておいしいのです。実は3本入っていたのですが写真を撮る前に1本食べてしまったのです(^_^;)

タコの得意料理!?「松茸の醤油焼」
骨董の大先輩のHさんはもう25年くらいのお付き合いです。父親くらいに離れた年齢を感じさせないほど元気で、骨董市ではどこでも顔をあわせます。最初の出会いは確か花園神社の骨董市だったと記憶してますが、そのHさんが大の松茸ファンで、毎年長野に松茸食べに行かれるほどなのですが、昨年、いっしょに行かないかと言われました。お前さんの車で行こう、高速とガソリンはお前さん持ちで、あとはすべて出すから・・というのが条件でした。いやあいいんですかとすぐタコの返事。内心は大喜びでスケジュール調整しました。渋温泉と野沢温泉に2泊して松茸園で山ほどの松茸をご馳走になりました。さらにお土産に「松茸」を籠でいただきました。昔集めた骨董品が値上がりして、それを少しずつ処分して楽しむんだといってました。

  人生は楽しまないと、というのは平家の時代に後白河法皇が今様で「あそびをせんとやうまれけむ・・」とかうたっていました。今は亡くなった陶芸家の辻清明さんもそんなこといってました。
 確かに人生はできれば楽しく生きたいですね。一度きりの人生ですから・・。でも楽しいという感覚は、つらいこと、苦しいことがあるから楽しいのだし、苦しみを乗り越えた時こそ心から楽しめるのだと思います。この大先輩のHさんも働き通しの人生だったと聞きました。そういう人生であるからこそ潤いというか楽しみは欠かさないようにしないといけないなぁとつくずく思いました。茶道でも「一期一会」という言葉があります。この今というひと時を一生懸命に生きる、相手とせいいっぱい楽しむ、それが永遠ということの意味なんだ、ということなのでしょうか。今年もHさんから一緒に松茸食いに行こうと誘われてます。

 
 

2012年9月18日火曜日

岐阜・柳ケ瀬のロイヤル劇場で観た映画「お早う」

 
 今月も、岐阜の中日カルチャーでの講座がありました。かなり早く着いたので、柳ヶ瀬のロイヤル劇場でまたまた映画をみてしまいました。相変わらず昭和名作シネマ上映会が続いており、ちょうど小津安二郎監督特集をやっていました。1959年に公開された「お早う」という作品。佐田啓二、久我良子、杉村春子、笠智衆他、懐かしい俳優が出演している映画です。小津映画独特の綿密に構成された画面の中を、まさにごく普通の日々が流れて行きます。自分が当時の日常生活にタイムスリップしたような錯覚に陥ります。ドラマチックな展開は何もない、平凡な一般市民の「ある数日」を撮影した感じです。人の陰口をたたくおばさんの典型から、今では見られなくなった押し売りまで登場して、ああこんなこともあったなぁというショットも。最近では、海外も含めたインディーズ系で同様の作風も珍しくありませんが、昭和34年当時にこんな映画を撮影した監督は他にいません。僕が12歳の時の作品で、本当に懐かしい雰囲気でいっぱいです。

 アメリカ映画から洗練のエッセンスを吸収した小津監督の徹底した美意識・・・無駄なものが排除された映像と俳優たちの演技が、昭和の生活を鮮やかにスクリーンの上で繰り広げてくれます。小津監督は黒沢明監督に引けを取らぬ徹底した完全主義者であったらしく、俳優さんは大変だったようです

 「お早う」は小津監督にとって2本目のカラー作品です。彼のホールマークとも言える赤が、衣装や小道具に程よく使われ、それをグレーやキャメルで引き立たせています。小道具にも本物を使う主義だったそうです。
 まだ中高年の女性が着物を日常着にしていた時代を反映して、和装の登場人物が多い中、子供や若者は洋装で新旧の世代の対比を成しています。久我美子のほっそりとした体形にふわりとまとわれた仕立ての良いワンピースやAラインのコートがとても軽快で爽やかに見えます。華族の出身だけあり、品の良い顔立ちで、当時の清廉潔白な娘役がぴったりです。でも、大人っぽい役もこなせる女優さんでした。本作品出演当時はまだ20代後半だったと思います。年を経てもほとんど変わらぬストイックな雰囲気のまま、映画だけでなく、テレビにも出演していました。

 この作品の中で、久我美子と魅かれあいながらもなかなか恋慕を態度に表せない、不器用な昭和の若者を演じているのは佐田啓二です。この5年後に事故により37歳の若さで亡くなったのですが、現在俳優として活躍する子息・中井貴一より男前です。しかし、美男である前に個性が重視される昨今、中井貴一はマジョリティーがイメージする「普通の人」の風貌に生まれて来て良かったのかもしれません。現実にはあのように顔が小さくプロポーションの良い、精悍ともいえるほどの男性など、朝の通勤電車を見回してみてもいないでしょうが、中井貴一は日本人の観念にある「平均的な日本人像」にしっくり合うようです。

  建売の並ぶ、新興住宅地での他愛もない出来事が軽妙に繰り広げられるのですが、その中で、二人の兄弟が、両親にテレビを買って欲しくて、あの手この手でアピールします。タックの入った長ズボンに手編みのような厚手のセーターを着ています。この少年たちの服装もまさに僕の少年時代そのままで、当時の自分を見ているようでした。1950年代後半は、テレビ・冷蔵庫・洗濯機が三種の神器として宣伝されていました。頑張って働いてお金を貯めれば、何とか手の届く家電でしたが、街頭の電気店の前などに人が集まってプロレス中継を見ていた様子は、今でも時々テレビで懐かしの昭和映像として流されます。我が家でも、電化製品好きの父がテレビを購入すると、隣人や近所に住む親せき達が毎晩のように見に来ていました。タコは一人っ子で両親と三人暮らし。所謂「核家族」のハシリでしたが、学校から帰宅すると、母の友達やら顔なじみまで、狭い居間でくつろいでテレビを見ていたりするのが普通の光景でした。そこに僕の同級生も加わり、皆で一緒に相撲やララミー牧場やプロレス、野球観戦をしていたのですから、おおらかな時代です。
 
 60年代になると、カラーテレビや車、クーラーが次の身近な憧れの対象となりました。本格的な高度成長期に入り、やがて社会に出たタコも猛烈社員として仕事に明け暮れたのでした。電気製品もいちいち三種の神器などと冠している間もないほど、次々と新商品が発表され、今ではタコも新しい電気製品が出ると、つい買ってしまうほどです。
 「お早う」の愉快な日常の中には、笠智衆ら「お父さん」達が定年について話し合うシーンもあります。当時、サラリーマンは定年まで同じ会社に勤めるのが普通でしたから、慣れた生活や肩書を失うことには一抹の寂しさを感じたことでしょう。引退後は年金で暮らし、孫にお年玉をやったり、盆栽いじりをしたり...まだまだ、そんな「老後」が当たり前だった時代。今は転職も日常茶飯事ですし、リストラやら、早期退職やらで終身雇用など期待できません。定年までいられたとしても、その後も働くのが当前となっています。早々に引退などと悠長なことは言っていられない時代ですが、その分だけ、中高年が若くなっています。もちろん、服装や髪形の若作り、健康ブームによる体形維持もあるのでしょうが、昭和30年代の60代と比べると、現代の60代は遥かに若いです。まだまだ元気に、日本を支えていきましょう!

2012年9月12日水曜日

大江戸骨董市 in 代々木公園

大江戸骨董市 in 代々木公園の初日風景
今月から代々木公園のケヤキ並木でも大江戸骨董市が開催されることになりました。原則的には、毎月第2と第4・水曜日に開かれるので、今日がその第1回目です。 
 僕は午後から国立のNHKオープンカレッジでの講座の仕事がありましたが、朝早起きして、早速この代々木の骨董市に行ってみました。

国津さんの記念すべき初出店!
日本骨董学院のホームページに骨董市情報を提供してくださっている 国津さんも、今回から出店なさるとのことでしたので、訪ねてみました。今日はお天気に恵まれたとは言え、かなり日差しが強く蒸し暑かったですが、国津さんは運よく木陰に店開きすることができました。
 長年に渡り、のぞき猪口を重点的に集めてきた国津さんですが、その大切なコレクションが並ぶ、しゃれた古伊万里の品揃えです。売っているご本人がまだ手放すのが惜しい、と思う品々だけあって、すぐにお客さんが足を止めて見ていました。順調な露天商デビューです。これからも、毎回違う品が並ぶそうですので、古伊万里好きの方は、ぜひ立ち寄ってみてください。

 骨董市では、他にも日本骨董学院 で受講なさっていた方に出会うことがよくあります。僕は、骨董市でそうした方々とお会いして近況を聞くのも楽しみです。

こちらもプロの貫録、荒巻さんのお店は何があるか楽しみ!
この代々木公園でも荒巻さんのお店がありました。立派なテントの下にバラエティーに富んだ魅力的な品がたくさん並べられていました。立体ディスプレーの上手さにも感心します。知り合いでなくても「何か面白うそうだな」と、奥までつい覗いてみたくなるお店です。安心して入れる楽しい骨董屋さんの雰囲気がいいです。かわいい中国「古玩」もたくさんあつかっています。

東京オリンピックの水泳会場であった代々木第一体育館を背景に
大江戸骨董市in代々木公園は、水曜日の開催にも関わらず、出店数も来場者数もなかなかのもので、盛況と言えました。日本骨董学院 で学んでくださった方々が、実際にこうしてプロとして活躍なさっているのを見ると、本当に嬉しいです。皆さん、それぞれの好みや個性を反映した楽しいお店作りをなさっています。ここでご登場いただいた方々以外にも、あちこちの骨董市に出店なさっている方がたくさんいらっしゃるので、これからもご紹介してゆきます。

2012年9月11日火曜日

最高の担担麺

麹町「登龍」の担担麺

 僕の食べ物における趣味では、値段が高いからうまいだろうという注文の仕方はありません。安くて美味い店を探すということも正直、無理だと思っています。なぜなら、美味しい味を出す新鮮な食材は安くは手に入りにくい物だからです。それに腕のいい料理人は高額な給料をとるからです。まあ高くもなく、安くもないというところにずば抜けておいしい店を発見するのが僕の楽しみなのです。

 今回は四谷に近い麹町4丁目交差点ほぼ角にある中華四川料理「登龍」の担担麺をご紹介します。僕と「登龍」の出会いは社会人になりたての昭和48年にさかのぼります。そこにはもともと「ロメオ」という喫茶店があり、よく利用していましたが、あるとき急に「登龍」にかわったのです。実はその隣に最初に勤めた会社がありました。その会社の社長にご馳走してもらったのが登龍の「担担麺」との出会いの最初です。最初はやや辛い中華ソバだなと思っていたら、次第にそのコクのある味が忘れられなくなって、隣ということもあって足しげく通いました。今でも盛んに通っていますから、もうかれこれ足かけ40年通っていることになります。以前このブログで中野の「さらしな蕎麦」店について書きましたが、それに次いで僕にとって大切な思いで深い古い店なのです。しかも驚くべきことに、その時から味は少しも変わっていませんから、もう驚異といえます。

 栄枯盛衰は世の常ですが、美味しいと思っていた店の味が急に落ちたり、サービスが悪くなったり、利益中心主義に落ちたりということが最近は頻繁で、うかうかブログにも推薦文を書けません。でも、この登龍はいつ行っても、本当に味の変わらない店で、安心して皆様にご紹介できるお店です。隅々まで掃除の行き届いた店内、ランチタイムでもシミ一つない糊のきいたクロスがかけられたテーブル、その上の一輪挿しには、フレッシュな薔薇。きれいに髪をとかしつけた黒服のスタッフは、素晴らしい間合いで俊敏にテーブルを廻る間も笑みを絶やしません。これぞプロです。いわゆる要人も来店するようですが、どの客にも温かく行き届いたサービスを提供する姿勢は、変わらぬ美味しさとともに一流の証です。

 登龍では、他のメニューも抜群の味ですが、やや高額です。しかし美味しいものはどうしてもちょっと高いのです。担担麺はランチ時だと通常の1800円が1000円で食べられるので、大人気です。すごい混雑ですが11時15分開店なので、12時前ならすいていてまったく問題ありません。

 僕は担担麺の美味しさをここで初めて体験しましたから、ほかに美味しい担担麺がないかといろいろ探しては味見してますが、登龍にかなう味の担担麺には今のところ出会いません。

 この美しいこってりスープをレンゲですくうと、それだけで素晴らしいゴマの香りが口に広がります。口に入れる前からも食欲が倍増するほど美味しそうな香りです。スープがほどよい太さのちじれ麺によくからみ、うま辛みとゴマの風味とひき肉のだし、ほうれん草が絶妙なバランスで完璧な味を作り出しています。これだけ濃厚なのに、くどさは全くなく、最後まで飽きずに一気にいただけます。

 我こそは担担麺ファンと自称している方はぜひ一度食べてみてください。これに勝る担担麺があったらぜひ教えてください。試食に行ってみたいと思います。でもないと思いますが・・・



登龍 麹町店: 地下鉄有楽町線「麹町」駅から徒歩1分
http://www.tohryu.co.jp/

 
 
 
 
 

2012年9月10日月曜日

大谷田温泉「明神の湯」

 
大谷田温泉「明神の湯」の案内
僕は温泉が大好きなのですが、このところまとまった休みが無く、遠出できずにいました。今日は一仕事終えてホッとしたので、以前から気になっていた都内の温泉に行ってみました。足立区にある、大谷田温泉「明神の湯」です。広い駐車場があるので、車で行きましたが、電車だと常磐線の亀有駅からバスに乗って10分とのことです。


 昭和の銭湯みたいな入り口がイイ感じで迎えてくれます。これはいけそうだな、と期待に胸を膨らませて暖簾をくぐりました。


 まず、券売機で、入浴券を買いました。シルバー料金もあり、日によって女湯デーとか夫婦デーといった特定の割引が設定されているようです。マッサージもあるし、作務衣も貸してもらえるし、お食事もできます。すべて券売機で券を購入するシステムみたいです。
 お風呂は、露天風呂もあり、なかなか広いです。水質は、天然ナトリウム塩化物強塩温泉(弱アルカリ性高張性温泉)だそうです。塩分と鉄分が豊富に含有されており、皮膚に良く、からだも温まります。熱めのお風呂、ぬるめのお風呂、更に湯温の低いひと肌くらいのお風呂、露天の岩風呂、檜風呂、サウナ、蒸し風呂などとバラエティーに富んでいて、とても楽しい温泉です。露天風呂の周りには、様々な木が植えられており、中には白い花をつけたものや、可愛い実のなっているものもあります。ここに来るまでは、まだ残暑を感じてぐったりしていたのですが、露天風呂に使っていると、不思議と涼しい風が吹いて、本当に気持ちよかったです。
 時々湯船から出て、外のベンチでほてりを取ります。タコは熱めの湯が好きなので、とっぷり使って熱くなると、水風呂も入ります。井戸水なのでしょうか、キリッと冷えた水に身が引き締まります。
 気に入ったのは熱めの桧皮の湯で、薄いコーラ色した湯です。以前新宿にあった「十二荘温泉」のときと同じ種類の泉質のようです。東京は関東ローム層があるので、こうしたコーラ色がかった温泉が多いみたいです。一時間ほど気ままに温泉を楽しんで、汗を流しました。
 

 休憩所にあがり、レモン・シロップのかかったかき氷で、すっかり乾いたのどを潤しました。かなり大盛りだったので、4分の1も食べたら、寒くなってきました。熱いお茶を飲んで、しばらく横になり、予約しておいたマッサージの時間までゴロゴロ。周りには、昼寝をする人、マッサージチェアでくつろぐ人、テレビをみたり、読書をする人など、皆さん、好きなようにまったりとくつろいでいます。
 マッサージは、体と、足を手もみしてもらうBセット1時間コースをお願いしました。ちょっと強めでイタ気持ちイイ(ーー゛)。なかなか丁寧で上手でした。
 もう一度浴場に行くと、日はすっかり暮れていました。ほどよくライトアップされた木々の花や実を見上げながら、露天風呂に浸かっていると、まさに本格的温泉。都内に居るとは思えないほどくつろいだ気分にないりました。どこか田舎のひなびた温泉にいるみたいなのに、上空には近くに飛行機の明かりが見えたりして、不思議な情景です。リフレッシュできました。

 最後に、小腹が空いたので、沖縄のソーキそばを使ったナポリタンを食べました。これはちょっと甘くてタコ好みの味ではありませんでした。迷ったのは冷麺でしたから、そちらの方がよかったかなと反省。でも、まだまだたくさんメニューはあるので、いつかまたチャレンジしてみたいと思いました。本当にゆったりできて、気持ちの良い温泉施設です。都内の温泉は他にも入ったことがありますが、ここは設備が大変気持ち良くて気に入りました。これからも、時間を見つけてまた東京の温泉をあちこち試してみたいです。
今回は五つ星が最高ランクとしたら、タコの判定では四つ星半というところです。

大谷温泉「明神の湯」 http://www.myoujin-no-yu.com/



 

勝虫 石州流茶道・東京茶和会 

石州流茶道・東京茶和会での角田先生、わたしと皆様
 今年も、石州流茶道・東京茶和会の講演会が開催され、今回は「中国青磁・高麗青磁そして鍋島青磁へ」という青磁のテーマで講師としてお話をさせていただきました。皆様、茶道の専門家だけあって、歴史やお道具についての学識が深いので、僕の話に合いの手も入り、大変楽しく盛り上がりました。古代越州窯の作品から高麗青磁の成立の経緯、魚文の歴史と意味、桃山茶道のお話を入れながら、江戸の鍋島青磁に至る青磁の歴史についてお話させていただきました。
 途中、師範の角田先生が差し入れてくださったおこし「古代」と飲み物で、ティーブレークが入りました。老舗「大心堂」http://www.kodai.jp/のこのおこしは、品の良い甘さと適度な歯ごたえで、とてもおいしいです。僕もかねてより好きなお菓子の一つです。


備前のお皿と「大心堂」のおこし「古代」

 角田先生は、とても粋な紳士で、今日は勝虫(かちむし)のブローチをしていらっしゃいました。秋を感じさせる、さりげない季節のお洒落がさすがです。トンボが勝虫と呼ばれるには諸説あります。前進あるのみで、後ろに下がらない、すなはち戦に勝つということ等、いずれもこの虫が俊敏で勝負に強く、また幼虫の時は甲冑のようであり、その固い殻から出て成虫になると勇ましい姿に変わることから再生復活の意味でも縁起の良い虫ということになりました。古くは雄略天皇から、そして戦国時代にはますます武将たちに好まれました。兜の前立てや武具、武士の衣服の文様に広く用いられました。武家の茶道である石州流の師範でおられる角田先生ももちろんそうした意味もあって、大切な場にはいつも勝虫のブローチのコレクションの中から一つ選んで身に着けていかれるそうです。さりげないく日本の文化を身に着ける先生に心から敬意を表する次第です。



2012年9月8日土曜日

バッハ 無伴奏バイオリンソナタとパルティータ


 昨晩は講座が終わったあと、新宿の「ディスク・ユニオン」に行き、CDを見ていたら、めずらしいのがありました。4種類のバッハ無伴奏バイオリンソナタとパルティータを買いました。

 一枚は今回の中では一番古く、1973年から1974年に録音された、Susanne Lautenbacherのバッハの無伴奏バイオリン。それから1979年に来日して荒川区民会館で録音したJean-Jacques-Kantorowのレアな一枚。さらにラ・プティットバンドで活躍しているSigiswald Kuijkenのもの、これは古楽器としてのバイオリンを使っていると思われます。そしてサンフランシスコ生まれのRuggiero Ricciの無伴奏バイオリン。これからその違いを聴くのが楽しみです。

 僕はバッハの作品、とくに無伴奏チェロと無伴奏バイオリンが大好きです。その孤高の旋律と音色とはぼくを魅了してやみません。バイオリンとチェンバロのためのソナタも大好きです。これらバッハを聴いていると、宇宙的広がりと、すべてを許容する宗教的深みを感じます。魂を清められる思いです。音楽はギリシャの昔から医療に役だってきましたが、美しく深みのある音楽は、病に苦しむ人たちに、精神的安らぎと魂の浄化をもたらしたに違いありません。

 アンドレイ・タルコフスキー監督の名作「惑星ソラリス」のメインテーマに使われたバッハ、コラールプレリュードBWV639もすばらしい曲で、僕は死ぬ時に音楽を持って行けるのなら、このBWV639とバイオリンとチェンバロのためのソナタと無伴奏バイオリンとチェロを持ってゆきたいと思うくらいです。それにもし加えることができるなら、ミケランジェリのピアノでジュリーニ指揮のベートーヴェンのピアノ協奏曲5番「皇帝」とサムソン・フラソワのピアノでショパンのノクターン。そして最後にマーラーの「大地の歌」これはワルターとフェリアーの盤です。これだけあれば音楽に関しては死後も永遠に満足なタコです。

2012年9月7日金曜日

岐阜・ロイヤル劇場で見た「サンダカン八番娼館」 

ロイヤル劇場のチラシ
今年の4月から、岐阜の中日文化センターでも古美術・骨董講座で講師を務めているので、講座の後で時間があると、近辺を散策することもあります。以前にこのブログで旬の鮎をいただいた時の事を書きましたが、8月の夏休み前に柳ヶ瀬を歩いてみました。1966年、美川憲一の「柳ヶ瀬ブルース」が大ヒットして全国的に名の知られるようになった歓楽街です。
 今はかつてのにぎわった面影のない「ロイヤル劇場」の昭和レトロな雰囲気にひかれ、入ってみました。上映作品「サンダカン八番娼館 望郷」は以前に観たことがありましたが、こんな昭和の名残みたいな映画館で観るのもいいなと思い、切符を買いました。
 1974年の東宝映画です。明治時代、天草からボルネオのサンダカンにある娼館に渡った日本女性に取材したノンフィクション作家・山崎朋子の原作をベースに描かれた作品です。


 家族を養う為に「からゆきさん」として異国に売られ、やっと年期があけて帰国すると、恥部として扱われ、人里離れた掘立小屋で孤独に貧しい晩年をおくる老婆サキ。この主人公を演じたのは、当時64歳の田中絹代です。確か、当時は久々の登場で大変話題になり、彼女にとって最後の出演作だったと思います。しばしば「いぶし銀のような女優」と評された田中絹代の演技にぐいぐい引き込まれました。閉ざされたサキの心を開き、彼女の「ふれられたくない過去」を聞き出そうとする役回りの栗原小巻は、当時、日本の国民的女優でした。(特にファンではありません(._.)念の為・・・)舞台女優としての癖の抜けない栗原小巻のセリフ回しと対照的に、元からゆきさんを演じる田中絹代は、どこまでもナチュラルに、するすると観客の心に入ってきます。時には頑なな老人になり、時には子供のように無邪気になり、観る者の心を揺さぶります。そのすばらしい演技に感嘆しました。ベルリン国際映画祭最優秀女優賞を受賞したのもうなずけます。
 若き日のサキを演じた高橋洋子も良かったです。彼女の聡明で清潔感のある美しさが、貧しさゆえに異国の娼館で働かなければならない素朴な娘の残酷な境遇を際立たせます。身も心もボロボロになっても、家族の為に生き、働き、そして故郷に帰る。その本能的な逞しさがたまらなく悲しいです。
 サキが帰国する頃、日本も豊かになり、彼女の家族も幸せに暮らしています。仕送りで生活を支えてくれたサキに恩返しをするどころか、彼女と一緒に暮らすことを恥とします。彼女のような人々の犠牲の上に豊かになったのは、その家族だけではなく、国自体でもあることを、忘れてはならない、とこの映画は伝えてくれます。
 バブルも遥か昔、不景気ばかりが話題になる昨今ですが、からゆきさん達が生きていたら、どう映っているのかな。数えるほどの入場者の、ひっそりと静かな柳ヶ瀬のひなびた映画館でしんみりしたタコでした。こういう映画館が今もあるんだぁ~。

2012年9月5日水曜日

白くま

 もう暦の上では秋とは言え、まだまだヒンヤリしたものが欲しくなる日々・・・。僕はアイスクリームやゼリーが大好きで、かき氷はそれほど食べませんが、最近はセブンイレブンで「白くま」を時々買ってみます。上にフルーツが乗っていて、たっぷりかかった練乳と混ぜていただくと、だんだん唇が冷たくなってきます。
 左は、本場九州の白くまです。鹿児島の名物で、フルーツだけでなく、甘く煮たお豆やギュウヒも乗っているのがおもしろいです。1930年代頃から広まったようで、最初は何気なく豆などを上に散らばしていたのをだんだんかわいらしく盛り付けるようになり、フルーツも増えたとか。名前の由来も諸説ありますが、格別においしいです。空気をはさんだ薄い氷の層がふんわりと盛られ、とろりと滲みた練乳と共に口に含むと、フワフワのまま溶けていきます。東京でもデパートの物産展などにお店が出るし、お取り寄せもできるみたいです。とても可愛いですが、普段は、コンビニの白くまでも満足です。
 それにしても、早く涼しくならないかな~(+o+)ぼくはすごく夏が苦手なんです。暑いとなおさらこうした冷たいものに手が出てしまいます。

2012年9月4日火曜日

槿(ムクゲ)



 季節的には秋になりましたが、まだまだ暑い日が続いてます。この間まで、去年買ってベランダで冬を越した小さな鉢植えの槿(ムクゲ)が、毎日一輪づつ花を咲かせてくれていました。マンションの入り口の槿は、まだ元気にたくさんの花をつけているのですが、タコの槿はもうお休みに入ったようです。
 机の上に朝鮮・李朝の白磁の盃に花を入れてみました。ともに韓国の焼き物と国花ですから、やはり合いますね。白の花弁にほんのり赤みがきれいです。李朝時代は儒教が全盛で、白を尊びました。何物にも染まらない純粋な白を象徴としていました。


 槿の前は、クチナシがなんとも言えない香りで部屋を満たしてくれました。本当にいい香りです。ぼくは沈丁花が一番好きですが、このクチナシも好きです。小さな李朝白磁の小壺によく似合い、これもまた大好きな、素朴そのものの栗の李朝くりぬき盆に乗せておくのがお気に入りです。李朝くりぬき盆は昔から韓国に行った時は2から3枚は買ってきていました。お蔭で今はかなりの枚数を持っていますが、最近は売られているのを見かけなくなりました。ぼくは中でもこの一番大きなくりぬき盆が好きです。大きさは55センチほどあり、盆としてはかなり大きなものです。

 
 毎年、梅雨の鬱陶しさを吹き飛ばしてくれるが紫陽花です。その美しさは格別で、鎌倉ではアジサイ寺の明月院が有名ですが、混みすぎて僕は東慶寺に足が向いてしまいます。東慶寺は北鎌倉駅からも近く、有名で観光客もさぞ多いと思いきや、これが意外とすいていていいのです。寺の中はいつもきれいに掃除されて気持ちいいし、有名人のお墓も多く、そのお参りも楽しみなところです。ここの紫陽花の植え込みには派手さはありませんが、寺の瀟洒なたたずまいと合っており、穏やかでゆったりできて私のは好きなところの一つです。荒らされてない苔の美しさは筆舌に尽くせません。今年は、秋田の白岩焼の壺にちょうど収まるサイズの鉢植えがあったので入れました。とても似合って爽やかな気分です。