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バンベルク騎士像 |
4年前、人生の区切りというと大げさですが、行ける時に行きたいところに行って観たいものを思い切り観たい、と35日間自由にヨーロッパを旅しました。当時は1ユーロ100円という円高だったのも幸いしました。
最も行きたかったドイツに最初に行き、かつての東ドイツだったベルリンを気ままに歩き回りました。
帰国後、時折この旅の思い出をブログに綴っていたのですが、やがて日常の仕事や雑務に追われ、更新することも少なくなってしまいました。昨今のテロで、ヨーロッパもなかなか行きにくくなり、あの時行っておいて良かった、と思うこの頃です。エジプトについても同じです。そんな気持ちで当時の写真を整理している内に、また旅の楽しさが蘇ってきました。
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ブランデンブルグ門 |
僕が小学校3年か4年だった頃、父がドイツ人からいただいた蔵書に、ドイツの戦前の写真集がありました。ひげ文字でなにやら書かれていて、もちろん全く読めませんでしたが、古き良き時代のドイツの雰囲気がとても魅力的で、よくその大好きな本を手に取っては見ていたものです。子供の僕には未知のドイツやベルリンの街並みや、ローテンブルクの街の様子が写っていました。美術についてもたくさんの作品を紹介していて、例えばデューラーの「騎士と死と悪魔」などの写真には、なんとも不思議な怖い印象を受けました。
その後日本で唯一、高校でドイツ語を専修として教えてくれる独協高校に学び、大学もドイツ語で受験し、ドイツ文学科に進み、哲学、ドイツ文学、音楽に親しんだ経緯を考えれば、いかにその本の影響が大きかったかがわかります。普段子供が目にすることのないような多くの美術品をその本を通して眺めていたことなども、今の仕事にもつながっているようです。バンベルク騎士像に出会ったのも、この本でした。馬に乗ったすがすがしく、美しい騎士像は小学生だった僕を魅了しました。
その憧れのバンベルク騎士像に会うために、僕はようやく中部ドイツの中世都市バンベルクにやってきました。
日本を旅立って早1か月になろうとする頃、11月末のミュンヘンで楽しみにしていたクリスマス市に足を運び、ダッハウの強制収容所跡にも行ってから、列車でバンベルグに向かいました。
着いたのは雨の夜。紅葉を過ぎたバンベルクにも、冬に入ろうとするドイツの寒さが訪れつつありました。翌日、ホテルからレグニッツ川に沿いに散歩しながら、聖堂(DOM)の見える方向に進みました。やがて入り組んだ城下町に入り、骨董店やクリスマス用品を売る店をのぞいたりしながら曲がりくねった小高い丘をのぼること15分、急に大きな広場に出ました。はっと見上げると、重厚なドームが聳えていました。すり減った重々しい石の階段を上がりDOMの扉を押しました。時代の重みを感じさせる、
樫のようなどっしりとした木でできた巨大な扉です。実際、重量もかなりあり、力いっぱい押してやっと開けたものです。中は暗く、通路の左サイドにはこのDOMの建立にかかわった人たちの像らしき石像が私を見下ろしています。しばらく歩くと、礼拝堂の前にでました。背景のアーチ形の窓から後光のように光が降り注いでいます。
僕はロマネスク様式の建築が好きですから、あーすばらしいなあ・・と感心しながら眺めていますと、僕の真上から見下ろすように馬に乗った騎士像が突然視界に入り、ドキッとしました。子供のころに飽きもせず見ていた大好きなバンベルク騎士像!とうとう実物に会えた喜びは、頭上からいきなり襲ってきました。
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階段横、向かって右の囲いの中にハインリッヒ2世夫妻の棺があります。 |
この像はバンベルクの大聖堂(DOM)の礼拝堂入口すぐの左上にあり、神聖ローマ帝国皇帝ハインリッヒ2世夫妻の棺を真下に見守る形で、柱の中間に配置されています。棺を柱の真ん中から見守る感じです。実際に訪れてみないと、そのあたりの様子はわからないものですね。荘厳なロマネスク様式の大聖堂の中には、老人夫婦と私しかいませんでした。とても静かです。小学生だった僕には遥か彼方の存在だったあの騎士像と、こうして対面できる日が来るとは・・・。中世ドイツの騎士の持つ高貴で誇り高き姿に、改めて感動しました。