僕は子供のころから「タコ」とあだ名されてきました。「おい、タコ、宿題やってきたか?」とか「おーい、タコ-、こっちだー」とかいわれてきました。別に難しい理由がある訳ではないのですが、僕の名前がタカオ(隆男)なので、タカオチャンからタコオチャンに変化して、最後に「タコ」に落ち着いたのです。文句があると口を尖らせていたからかもしれません。現在は日本骨董学院(http://www.kottou-gakuin.com/)の学院長をしています。古美術・骨董が専門ですが、何かに興味を持つと、徹底して収集したり研究したくなります。このブログでは、様々な趣味の中から僕が今特に興味のあること、おもしろいと思う場所について書いて行きたいと思います。僕のホームグラウンド、中野の美味しいお店などもご紹介したいです。時々お散歩気分で立ち寄っていただければ、幸いです。
2012年10月7日日曜日
骨董市で再会したブリキの飛行機 B29
日曜日、今日は予定変更で、久々に休日となりました。のんびりと骨董市を廻ってみようかと思ったのに、朝起きたらあいにくの雨!それもかなり強い雨でした。僕はどちらかというと「晴れ男」なのに。今日は仕事でないからか雨なのかな(・・;)。でも、富岡八幡骨董市と靖国神社は雨でもしっかり開催する市として有名ですから車で行ってみました。前回の富岡八幡では「李朝・ととや茶碗」の無傷ものを奇跡的に安く買うことができたので、きちんと写真を撮ったら投稿したいです。今回は、靖国神社について。
東京九段の靖国神社骨董市を取り仕切る会主の菅野さん、通称「カンちゃん」の雨除けテントを張ったお店に寄ってみました。もともとこの業界の重鎮である菅野さんとは、僕がたまに顔を出す栃木の業者市でよく顔をあわせます。挨拶をして陳列品を見ていたら、ちょっとドキリとするほど気になったものがありました。「あれ?!なつかしいな~」と思って手に取りました。
僕は小さいころから動くものに魅かれ、乗り物、特に車や電車、なかでも少し大きくなってからは飛行機がものすごく好きでした。4歳頃には、よく一人で電車を見に1キロほど離れた中央本線と総武線の踏切に歩いて行き、電車を見ていたそうです。そうやっていつの間にか居なくなり、家族を慌てさせていたみたいです。また、今の中野サンモール、昔の北口商店街を入ったすぐ左におもちゃ屋さんがあったのですが、そこを通ると決まって座り込んで動かなくなり、母を困らせたとか。家計が苦しかった当時、母はそうやって幼いタコがごねる度になんとかなだめて店先から離して連れ帰っていたと聞きました。でも、その飛行機・B29の時は梃子でも動かなかった。母は、仕方なく持ち合わせのお金を吐き出して買ってくれたようです。
その飛行機と同じものを、しかも完全な保存状態のものをこの骨董市で見つけたのです!小さかった頃の僕には、そのブリキの飛行機はものすごく大きく感じたのですが、今見ると、意外と小さいです。心の片隅で、セピア色になっていた思い出が、フルカラーで目の前に浮かび上がりました。
母を困らせてまで買ってもらった飛行機なのに、僕はあまり遊ばずに壊してしまいました。どういう仕掛けで車輪を動かすとプロペラが回るのか、それを知りたくて分解してしまったのです。家にあったマイナスドライバーを持ち出し、ブリキの小さな留め金をせっせと外して中を調べる。構造がわかって納得すると、満足。解体したままポンと放っておくのです。それを見て片づける母はどんなに悲しい思いをしたか、今は知る由もありません。
骨董市で再会したB29、これは日本製ですし、思い出のものと全く同じです。こうしてまた持ってみると子供とはいえ、なぜ組み立て直して、もっともっと遊ばなかったのか・・自責の念がずしりときます。カンちゃんに安くしてもらい、購入しました。一時ブリキのおもちゃは一部の心無い業者によって値段が吊り上げられていましたが、今は元の値段に戻ったみたいです。買えてよかった~。そんなわがままな子供時代の思い出のブリキのおもちゃを思いがけず再度入手でき、何か熱いものが胸に去来しました。母が亡くなってもう5年、命日も真近です。感謝の気持ちを添えて、しばし霊前に置きました。
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