2011年12月20日火曜日

クリスマス・プレゼントその後


 先日、ブログに僕の子供時代のクリスマスの思い出を投稿したところ、それを読んだ知人から、サンタからのプレゼントはその後どうなったのか訊かれました。欲しくてたまらなかった機関車のおもちゃは、大切に長いこと遊んで楽しみましたと、言いたいところですが、残念ながらクリスマス後間もなく、分解して壊れてしまったのです。
 男性なら誰しもそうした経験があると思うのですが、おもちゃに限らず時計でもラジオでも、メカニズムを知りたいという好奇心にかられて分解してしまう。ところが、なにしろ子供ですから、元に戻せず、あーぁ・・・と言う結末になることが多かったです。でも仕組みが解り、好奇心も満たされ、それなりに役に立ったと思います。

 今年も街にはなんとかクリスマスイルミネーションが灯されました。点灯時間は短縮され、節電にはかなり気を遣いながら、頑張って華やかな街のクリスマス気分を盛り上げているようです。

日本骨董学院 http://www.kottou-gakuin.com/

2011年12月13日火曜日

クリスマスの思い出


 先日倉庫を掃除していたら、何十年も前のクリスマスツリー用のサンタや動物の形をした飾りの電球が出てきました。子供のころに今は亡き母に買ってもらったそれを見ていたら、熱いものがこみ上げてきました。戦後の貧しい時代にきっとお金を工面して買ってくれたものに違いありません。

 幼い頃、町のおもちゃ屋さんでほしいものがあると、座り込んで母を困らせたようです。クリスマスが近づくと、窓から「サンタさーん、クリスマスには電気機関車もってきてねー」と大声で叫んだそうです。クリスマスの朝、目覚めると枕元にサンタクロースからのプレゼントが置かれていました。正に僕の欲しかった電気機関車でした。生活に追われていた母は叔父に頼んでそれをクリスマスに間に合わせたとずっとあとで聞きました。
 
 ポインセチア。この赤いきれいな葉は昨年のクリスマス用に買ったもので、その後ベランダで世話してきました。今年のクリスマスで2年目です。とても大きく立派に色付いた葉を広げてくれています。この美しい赤い色を見ていると、いつも子供のころのクリスマスを思い出します。

日本骨董学院 http://www.kottou-gakuin.com/

2011年12月5日月曜日

エヴェレストのアンモナイトの化石 三葉虫 恐竜

  三葉虫については既に書きましたが、アンモナイト(Ammonoidea)について今回は書いてみたいと思います。タコの宝ものの一つに、エヴェレストの近くにあるカリガンダキ渓谷から出土した大きなアンモナイトの化石があります。真っ黒な、緻密な化石で、見るからに威厳があります。エヴェレストは現地ではチェモランマと言っているようですが、ご存じのように世界最高峰の山です。8848メートル。すごい高さです。僕は昔登山をしていたので、富士山(3776メートル)に2度登りましたがそれでも酸素が薄くなるせいか、頂上付近では思うように足が前に進みませんでした。こんな具合ですから8848メートルなんてとんでもない世界です。
 それをラインホルト・メスナー(Reinhold Messner)という登山家は1980年に単独無酸素ボンベ登頂したのですから、当時びっくりしました。なんと無酸素ボンベ登頂!驚くべき肺機能!そのエヴェレストの頂上直下8235メートルから8540メートルの約300メートルにわたりイエローバンドという黄色の石灰岩でできた地層が見えます。これはエヴェレストがかつて海底の底だったことを示しています。頂上付近から採取された岩石の中から三葉虫の化石が発見されています。
 南からインド大陸が北上して、アジア大陸に衝突、といっても年間15センチから20センチの移動ですが、その膨大なエネルギーが両大陸の海底を盛り上げてヒマラヤ山脈を形成したのですから驚きです。いまだそうしたきしみのエネルギーが蓄積され中国の雲南地震に関係しているのかも知れません。そんな訳でエヴェレスト付近はそれまでに堆積した生物の化石の宝庫でもあるのです。

 このアンモナイトは恐竜たちと同じ時代に繁殖したので、今から約2億4500万年前から6500万年前に生息した中生代を代表する古生物です。インド大陸とアジア大陸が衝突してヒマラヤ山脈が形成されたのは今から5500万年前から4500万年前と考えられています。そのカリガンダキ渓谷から発見された黒い緻密な化石のアンモナイトは地元では昔から神として崇められてきて、宝ものとして現在も伝えられているものもあると聞きます。この化石を見るたびに生命の進化の不思議と大陸を移動させる壮大な地球のエネルギーを感じます。

日本骨董学院 http://www.kottou-gakuin.com/

2011年11月28日月曜日

「名物刀剣展」と三島大社


                        

 僕が学院長を務める日本骨董学院では、日常の古美術・骨董講座だけでなく、毎年それらをテーマとした旅を企画して、おかげ様で人気を博しております。

 今年10月の美濃・瀬戸の古窯へのバスツアーに続き、11月26日には、皆さんと佐野美術館で開催中の「名物刀剣展」で一挙に公開されている名刀50振りを鑑賞、館長の渡邉妙子先生の講座を受講したり、国宝・一遍上人絵伝で有名な三島大社も訪れました。今回は特別に刀剣界の第一人者である飯田一雄先生が展示品の解説を引き受けてくださいました。(写真は三島大社本殿前で恩師の飯田一雄先生と)

 飯田先生は私の恩師でもあり、刀剣界の重鎮でもいらしゃいます。私が初めて日本刀に魅了されたのは18歳の高校時代ですが、その当時、通った鑑定会の講師をされており、その頃より46年今までご指導、ご鞭撻いただいています。生涯の恩師です。

日本骨董学院 http://www.kottou-gakuin.com/

2011年11月14日月曜日

二の酉


 毎年欠かさず行くのが酉の市。酉の市の本場は何と言っても浅草の「大鳥神社」です。
 
 大鳥は鳳(おおとり)でもあり鳳凰(ほうおう)でもあります。鳳凰は古代エジプトにおけるフェニックスのことであり、不老不死のシンボルともなり、また中国の長寿の神でもあり、皇帝・皇后のシンボルともなりました。もともと鳥や伝書鳩に代表される鳩には千キロメートル離れていても巣に帰るという帰巣本能があり、その特徴が人間の魂を死後正確に極楽に導いてくれると信じられ、それがエジプトではバーという人間の頭をした鳥、日本では迦陵頻伽という極楽で歌うという鳥に変化したのです。そういう鳥の信仰と長寿を祝う大鳥神社で金をかき集める商売のシンボルの熊手が売れたことから酉の市がスタートしたといわれています。
 
 今年は三の酉まであり、なんとか時間を作って行くことができました。上の写真は去年の熊手。両手招き猫のご利益か、震災に追い打ちをかけられた不景気をなんとか乗り越えられました。今年は、来年の干支に因んで、龍のついた熊手に決めました。景気の良い拍子木(ひょうしぎ)に元気付けられ、来年も頑張ろうという気持ちを強くしたタコです。


日本骨董学院 http://www.kottou-gakuin.com/

2011年11月3日木曜日

ああ鰻丼 (瀬戸「田代」の鰻)


 僕は昔から鰻がなぜか好きなんです。今住んでいる中野は生まれた場所でもあるし、食べ物屋さんはひしめいてあるし、食ということに関しては文句の付け所はないのですが、おいしい鰻がなかなかないのです。2、3店はありますが抜群、というものではないのです。そこで外に鰻を求めて旅をするのですが、現在のトップは価格、美味という点で瀬戸市の「田代」。こんがりと焼けて香ばしい。注文を受けてから鰻をさばくので、新鮮、プリップリ。

 関東では蒸してから焼くからプリプリ感はないのですが、瀬戸ではそのまま焼いてタレに漬けます。なんと噛み応えががいい!なんと香ばしいことか!こうして書いていながら、思い出してもう条件反射で生唾がでてきています(笑)とにかくうまい。

 東京ではやはり定番ですが、南千住の「尾花」が芸術的にフックラしていて、焼き上がりも美しい。いいけど、値段がやや高くなったのが気に入らない。瀬戸の「田代」は1900円台とお手ごろ価格です。瀬戸に住みたいタコです。


日本骨董学院 http://www.kottou-gakuin.com/

2011年10月31日月曜日

牟田洞古窯跡にて

 
 この写真は今年の秋に会員の皆さんと美濃のやきものの歴史を訪ねる旅をした折のものです。背景にある建物は、人間国宝の故・荒川豊蔵氏の工房です。このあたりは荒川豊蔵氏が志野の桃山時代の陶片を採取して、古志野の産地を特定した有名な場所なのです。この写真の上方に荒川豊蔵記念館があり、そこには豊蔵さんが発見した「筍」の絵の入った陶片が、多くの発掘品とともに陳列されていて、皆さんの眼を釘付けにしました。

 聞いた話では、昭和5年(1930年)4月に名古屋で北大路魯山人の星ヶ岡窯展のときに、荒川さんは関戸家にある筍の絵の入った茶碗を見る機会を得て、大変感動したらしいのです。まだ当時、その志野作品がどこで焼かれたのかわからなかったそうで、豊蔵さんはその土が美濃のものではないかと見当をつけて、大萱を山中を歩いていたら、なんと2日前に見た筍の茶碗と同じ絵の入った陶片を見つけたのでした。それから大々的な発掘につながり、美濃の焼き物の全貌が明らかになった経緯があるのです。荒川さんはその発見とその後の志野の復元の功績が認められて人間国宝に指定されました。荒川さんの強運に感心しながら、資料館の展示品をみなさんと拝見しました。

 またこのあたりにはやはり同じ桃山時代の鼠志野などを焼いたとされる窯下窯や、織部の後期の弥七田窯などがあり、そこもすべて皆さんと見学しました。皆さん、筍の絵の入った陶片や織部の陶片が落ちてないかと下ばかり見ている不思議な集団でした。

 この旅の様子は、日本骨董学院のホームページで御覧いただけます。

日本骨董学院 http://www.kottou-gakuin.com/