2012年1月3日火曜日

2012年 お正月

 
 
 2012年元日、息子家族と新年を祝いました。南宋時代の竜泉窯青磁皿、朝鮮時代の鶏竜山の徳利、九谷初期民山窯の長皿、古唐津の皮鯨手小皿、桃山時代の志野のぐい飲みに思うがままに御節を盛り付けて、春日大社伝来の根来の室町盆に並べてみました。デザートの柿は、江戸時代の瀬戸盛り皿に。お雑煮は、関東風の鶏出汁です。亡くなった母の大好物で、よく作りました。


  僕の祖先は、秋田でもともと佐竹藩の右筆でしたが、東大の先生のお話では一族は重要なことを任されていたようで、藩から命じられて鉱山開発などをしていたようです。佐竹は幕府に内緒で鉱山開発をしていたようです。ですから現在の秋田大学には全国唯一の鉱山学部があるのです。 父の父、すなはち私の祖父は北海道余市の銀山で鉱山技師をしていました。鉱山技師というのは先祖伝来の技術で、現代と違って一代ではなれないものです。
 それから江戸に移住するまでは長い話になりますが、いろいろな話が伝わっています。

  中野に住むようになったのは、母方の祖父の代です。関東大震災後に地盤がしっかりしているから、と一族でこちらに居を構えたそうです。それは正解で、中野は地盤がしっかりしていて安心していられます。人類は生活の糧と安全を求めて移住を続けてきたわけですが、住み慣れた土地を離れ、築き上げたものを失い、大切な人達と分れて新天地で生きることがいかに大変なことか、震災で目の当たりにしました。昨日は娘夫婦と、そして今日もこうして長男夫婦と孫とともに暖かい食卓を囲めることは文字通りありがたき幸せです。

 私の手と一緒に撮影した小さな手は、去年孫の男の子が生まれたときのものです。あれからはや一年がたち、今は元気で歩き回っています。上のお姉さんもまた成長しました。いろいろな意味でこの子達が安心して暮らし続けられる日本になってほしいと思います。


日本骨董学院 http://www.kottou-gakuin.com/

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