11月1日、ベルリンを拠点にして少し周辺を歩いてみようと思いました。かねてより訪ねてみたかった場所の一つがマルチン・ルターのいたヴィッテンベルグ(Wittenberg)です。その日はヴィッテンベルグを見学して、その足でバッハのいたライプチヒに向かう予定をたてました。マルチン・ルターに興味をいだくのは、彼のなした宗教改革の炎が大きく当時の世の中を変革する方向へ導いたからです。中世キリスト教の教皇権の世界から、王権の確立、そしてフランス革命などを経て共和制国家の出現から現代の民主政治に至る大きな流れの転換期です。そしてそれが結果的に日本の桃山時代の文化の成立に大きく影響を与えたからです。
当時、各国での王権の伸長がローマンカトリックの教皇権の衰退を招いていましたが、分裂続きのドイツでは依然教皇の権威が強かったのです。そうした折にイタリアの富豪、メディチ家出身のローマ教皇レオ10世はペテロ寺院の修築を考え、その費用をドイツから捻出することを考えて、免罪符の販売を許したのです。人々の無知に付け込んだ免罪符販売使節たちが、悔い改めなくても免罪符さえ購入すればどのような罪も「購入」という善行によって許されると説いてお金を集めました。
95ヶ条の要求をかかげた扉のある教会 |
ルターの書斎 |
プロテスタントの大きな台頭の結果、カトリックは内部の引き締めと粛清を行なわねばならず、軍隊的組織によって統一されたスペインのイエズス会は新たな信者の獲得と勢力拡大の使命を担って宣教師を多く海外に送り、失われた教皇権の回復と収入の補填先の獲得に乗り出したのです。それがアジアにまでやってきて、日本にまで進出したフランシスコ・ザビエルで有名なイエズス会なのです。聖堂などの金銀極彩色のきらびやかな装飾絵画や西洋の文化、ガラス、食文化、科学がもたらされました。まさにバチカンのシスティーナ礼拝堂の美術です。
日本の戦国時代には「かぶく」とか「バサラ」(ともに異様な風体で人々を驚かせた)という風潮がはやりました。それは戦場での活躍を主君に認めてもらいたいがために派手で目立つ軍装をし、恩賞をもくろんだからです。しかしそれが戦国の無頼文化の中に浸透してきたことと、宣教師がもたらした教会内部の豪華な装飾絵画が大きく信長などに取り入れられた結果、桃山文化の成立をみます。安土城、秀吉の聚楽第、大阪城などなどに大きな影響を与えました。
デスマスク |
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