2012年9月18日火曜日

岐阜・柳ケ瀬のロイヤル劇場で観た映画「お早う」

 
 今月も、岐阜の中日カルチャーでの講座がありました。かなり早く着いたので、柳ヶ瀬のロイヤル劇場でまたまた映画をみてしまいました。相変わらず昭和名作シネマ上映会が続いており、ちょうど小津安二郎監督特集をやっていました。1959年に公開された「お早う」という作品。佐田啓二、久我良子、杉村春子、笠智衆他、懐かしい俳優が出演している映画です。小津映画独特の綿密に構成された画面の中を、まさにごく普通の日々が流れて行きます。自分が当時の日常生活にタイムスリップしたような錯覚に陥ります。ドラマチックな展開は何もない、平凡な一般市民の「ある数日」を撮影した感じです。人の陰口をたたくおばさんの典型から、今では見られなくなった押し売りまで登場して、ああこんなこともあったなぁというショットも。最近では、海外も含めたインディーズ系で同様の作風も珍しくありませんが、昭和34年当時にこんな映画を撮影した監督は他にいません。僕が12歳の時の作品で、本当に懐かしい雰囲気でいっぱいです。

 アメリカ映画から洗練のエッセンスを吸収した小津監督の徹底した美意識・・・無駄なものが排除された映像と俳優たちの演技が、昭和の生活を鮮やかにスクリーンの上で繰り広げてくれます。小津監督は黒沢明監督に引けを取らぬ徹底した完全主義者であったらしく、俳優さんは大変だったようです

 「お早う」は小津監督にとって2本目のカラー作品です。彼のホールマークとも言える赤が、衣装や小道具に程よく使われ、それをグレーやキャメルで引き立たせています。小道具にも本物を使う主義だったそうです。
 まだ中高年の女性が着物を日常着にしていた時代を反映して、和装の登場人物が多い中、子供や若者は洋装で新旧の世代の対比を成しています。久我美子のほっそりとした体形にふわりとまとわれた仕立ての良いワンピースやAラインのコートがとても軽快で爽やかに見えます。華族の出身だけあり、品の良い顔立ちで、当時の清廉潔白な娘役がぴったりです。でも、大人っぽい役もこなせる女優さんでした。本作品出演当時はまだ20代後半だったと思います。年を経てもほとんど変わらぬストイックな雰囲気のまま、映画だけでなく、テレビにも出演していました。

 この作品の中で、久我美子と魅かれあいながらもなかなか恋慕を態度に表せない、不器用な昭和の若者を演じているのは佐田啓二です。この5年後に事故により37歳の若さで亡くなったのですが、現在俳優として活躍する子息・中井貴一より男前です。しかし、美男である前に個性が重視される昨今、中井貴一はマジョリティーがイメージする「普通の人」の風貌に生まれて来て良かったのかもしれません。現実にはあのように顔が小さくプロポーションの良い、精悍ともいえるほどの男性など、朝の通勤電車を見回してみてもいないでしょうが、中井貴一は日本人の観念にある「平均的な日本人像」にしっくり合うようです。

  建売の並ぶ、新興住宅地での他愛もない出来事が軽妙に繰り広げられるのですが、その中で、二人の兄弟が、両親にテレビを買って欲しくて、あの手この手でアピールします。タックの入った長ズボンに手編みのような厚手のセーターを着ています。この少年たちの服装もまさに僕の少年時代そのままで、当時の自分を見ているようでした。1950年代後半は、テレビ・冷蔵庫・洗濯機が三種の神器として宣伝されていました。頑張って働いてお金を貯めれば、何とか手の届く家電でしたが、街頭の電気店の前などに人が集まってプロレス中継を見ていた様子は、今でも時々テレビで懐かしの昭和映像として流されます。我が家でも、電化製品好きの父がテレビを購入すると、隣人や近所に住む親せき達が毎晩のように見に来ていました。タコは一人っ子で両親と三人暮らし。所謂「核家族」のハシリでしたが、学校から帰宅すると、母の友達やら顔なじみまで、狭い居間でくつろいでテレビを見ていたりするのが普通の光景でした。そこに僕の同級生も加わり、皆で一緒に相撲やララミー牧場やプロレス、野球観戦をしていたのですから、おおらかな時代です。
 
 60年代になると、カラーテレビや車、クーラーが次の身近な憧れの対象となりました。本格的な高度成長期に入り、やがて社会に出たタコも猛烈社員として仕事に明け暮れたのでした。電気製品もいちいち三種の神器などと冠している間もないほど、次々と新商品が発表され、今ではタコも新しい電気製品が出ると、つい買ってしまうほどです。
 「お早う」の愉快な日常の中には、笠智衆ら「お父さん」達が定年について話し合うシーンもあります。当時、サラリーマンは定年まで同じ会社に勤めるのが普通でしたから、慣れた生活や肩書を失うことには一抹の寂しさを感じたことでしょう。引退後は年金で暮らし、孫にお年玉をやったり、盆栽いじりをしたり...まだまだ、そんな「老後」が当たり前だった時代。今は転職も日常茶飯事ですし、リストラやら、早期退職やらで終身雇用など期待できません。定年までいられたとしても、その後も働くのが当前となっています。早々に引退などと悠長なことは言っていられない時代ですが、その分だけ、中高年が若くなっています。もちろん、服装や髪形の若作り、健康ブームによる体形維持もあるのでしょうが、昭和30年代の60代と比べると、現代の60代は遥かに若いです。まだまだ元気に、日本を支えていきましょう!

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